御幣についての著作といえば、片山公壽氏が著わした「御幣-神と仏のすがた」(青山社・絶版)が知られています。
しかし紹介されている御幣は、その知々理の折数などは秘されており、御幣の真の「すがた」としては明かされてはいません。
今月から、当家に伝わる出羽三山の湯殿系の御幣の切り方を記した『御幣切方大事』を中心に幾つかの御幣を紹介していきます。
『御幣切方大事』は安政六年の年号がある古文書で三十種類あまりの御幣が、正確な知々理の数も含め収められています。
湯殿山は今でも大日坊、注連寺といった即身仏をお祀りする名刹がありますが、古文書類は度重なる火災の為、その多くが失われました。
御幣も昔ながらの切り方は、古文書としては残されておりません。
神仏分離以前の真の御幣のすがたを余す事なく紹介して行く事は、失われた祈りの力の興隆にも繋がる事と存じます。
原本は解説めいた文章などは一切記されておりません。
これに習い紹介していく事としますが、必要とあらば浅学が露呈する事を覚悟し解説も加えて参ります。
『幣切時之大事』
先 独鈷、霊峰者(両部は)小刀を持つ
次 轉而住地(転じて地に住す)七反
次 アラハシャナと唱え小刀を持つ
次 轉而命(転じて命)五反
次 ア・バン・ウンと唱え小刀を持つ
次 轉而住地 三反
次 無所不至印にて幣加持
眼耳鼻舌身意
五轉種地(五輪種字)
種遍法界鬼畜
人天皆是大日
次 切りはき(ぎ)の大事(御幣を截ちながら唱える)
此のばんば(盤は)
悪たらの木と三つ五つ
七つの神々さそわれて
上下の神も今そ(ぞ)たちのく
此日たなたれなる人の作りしそ
文殊作し不動くりから
紙たつて紙かと(ど)たって祈なは(ば)
よろつ(づ)のちは祈念かのうなりけり
幣はさむ幣ふしみかと(ど)をそろしや
ゆいとなりてたつとかるへす
幣はさむ竹を持て左歌
此竹を(は)高天原に(生まれし)竹(なれば)
今そ(ぞ)神の幣ぐしとなる
御幣は神仏の依り代となるものですから、当然製作する際の作法が定められております。
以上は『御幣切方大事』にある「幣切時之大事」の作法です。この作法が片山氏の著作の中の幾つかの作法の一部と一致している事から、当時広く行われていた作法であったのでしょう。
まず冒頭の霊峰とは両部の事、即ち神仏混淆の修験者の事で、両部を霊峰というのは言いえて妙な感じがします。
「轉而住地」即ち「転じて地に住す」とは、独鈷または小刀を持ち七反右転し板上に置きのです。
「轉而命」即ち「転じて命(=明)」とは、独鈷または小刀を紙に向けて加持する作法で、小刀を持ち五反右転し文殊の明を誦するのです。
再度の「轉而住地」は、小刀を右転三反して板上に置きます。
無所不至印で行う幣加持は、幣を印ではさみ持ち、キャ・カ・ラ・バ・アの五つの種字を配し、開眼するのです。
切りはき(ぎ)の大事は、随所に当地の訛りや言葉が抜けていると思われる箇所があります。
原文(原文はカタカナ)に一部言葉を補い掲載しましたが、更に手を入れる必要があります。また所作が伴う口伝もあります。
ここに紹介したものは、完全な形ではありませんが、地方で情報が滞りがちな中で懸命に法を学んでいた先達たちの苦労が伺われるものとして捉えて頂ければと存じます。
この不完全な箇所に関しては法兄の方々のご質問をお受けすると同時に、また教示を頂ける事を願っております。
『不動一本五大尊』
まず最初に紹介する幣は「不動一本五大尊」です。
五大尊明王は、中央に不動明王を置き、東方には降三世明王、南方には軍荼利明王、西方には大威徳明王、北方には金剛夜叉明王を置いて五大尊とします。
台密(寺門系)では北方の金剛夜叉明王に代え烏瑟沙摩明王を充てる場合もあります。
この五大尊明王は、仏が未来世で、罪深い衆生を屈服させて三宝に帰依させるために、大日、阿シュク、寶生、阿弥陀、不空成就の金剛界五仏が忿怒の身形に変現した教令輪身とされています。
一切の悪魔を降伏する大日如来の教令輪身の不動明王は、梵名がアチャラナータ、訳して不動、無動となる事からも、常に中尊となる事は当然でありましょう。
私が『御幣切方大事』の中で、一番初めに切った御幣が、この不動一本五大尊でした。
独特の姿に力強さを感じて以来、線香護摩の本尊として据えております。
『五大尊祓い幣』
「五大尊祓い幣」は、当家の『御幣切方大事』に記されている幣ではありません。
「不動一本五大尊」と共に私が線香護摩のビデオで用いている祓い幣です。
この「五大尊祓い幣」は、『立螺秘巻』の著者・本間龍演師が寶壽院流の採燈護摩の中での祓いの作法などで用いていたものです。
線香護摩の中では、本尊とする「不動一本五大尊」と対にして使っております。
この五大尊祓い幣は五大尊の威力により、強力に内外の諸魔を降伏し清浄する力があるとされております。
寶壽院流採燈護摩では一枚のみで御幣にしている様ですが、私は五枚重ねております。
五枚重ねた方がボリューム感があるとの単純な理由です。
この御幣と類似したものは、寶壽院流以外にも度々目にしており、護摩の紙天蓋も似た様な切り方を致します。
上は障子紙を用いて以下の様に截ったものです。
折りは不動一本五大尊の場合とは逆に、横折りしてから竪折りします。
下の型紙の右上の角が丁度竹串を刺す穴として切り落とします。
竹串の頭は十字に切れ目を入れ幣を刺します。知々理は七つ折り目を入れます。
この『五大尊祓い幣』の変わった用い方に、御幣くじの作法があります。
それは三方の上に桝(または鉢や皿)に白米を盛り、その上に和紙のコヨリで作ったくじを乗せます。
その上に祓い幣をかざしますと、その内の一枚が吸付き、くじを引いた事になるというものです。
名前などを決める際に用いてみては如何でしょうか。
静電気の関係なのでしょうが、コヨリのくじは白米の上に乗せないと、中々上手く吸付きません。
白米の上のコヨリが引き寄せられる。