闇の祈りに光あれ

闇の祈りに光あれ

光の祈りもあれば、闇の祈りもあります。人は情念という深淵の中で生き、そして苦しむ事を常とします。力のない者は常に為政者や権力者の理不尽に涙して来ました。

けして刃向かう事の出来ない恨みの情念が祈りの中で力を発揮する事があります。深々と突き刺さる針は、そうした情念の深さを示しているのかもしれません。

その情念を背負う術者は、その針が情念の浄化装置となる事を願うのです。今日は、会社や学校、またはスポーツ団体に至るまで、その組織内での恨みつらみは絶えません。現代の恨みの針は、加持祈祷の呪詛の針より根が深いようです。