今から26年前、初めて参加した羽黒の秋の峰入りで、甑嶽修験道の復興を神仏に誓願致しました。甑岳を神仏習合のメッカとすると。そんな私は周囲から笑われたものです。その晩、宿坊で見た夢は、雲の合間から光輝く大きな劔と、その劔をかざしていると思われる存在の巨大なおみ足でした。何かしらの吉祥に違いないと思い、「やってやる」と決意したのです。
平成17年に宗教法人を取得し、翌年から弟子達と甑嶽峰中修行を始めました。参加者は10人。準備が当日までに及び、やっと夕方になって入山した亊を覚えています。前乗りして準備に当たった行者から、余りにも大変だったため「損な役回りをした」と文句を言われ、奉仕への無理解に情けなくなった亊を覚えています。
昨年までテレビ局に勤めておりましたが、働きながら、よくこのような亊が出来たと思います。今でも時々投げ出して、どこかに逃げたいと思う気持があります。しかし神仏に誓ってしまった為か、逃れようとしても何故か必然的にやらされ続け、今日に至っています。神仏から動かされているのでしょう。
本来は神仏習合であるべき修験道が、明治の廃仏毀釈の影響で、現在の日本では受け入れられない現状から、日本でダメならば海外での展開も考えようと、日本語と英語で積極的にインターネットで情報を発信し続けてきました。その功もあってか、年々、甑嶽峰中修行の参加者は増え続け、今年は国内を始め、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、マレーシアから29人の行者が集いました。今後、更に参加者が増えた場合は、峰中修行の執行のあり方自体を見直し、更に別日程を設けるなど甑岳をより多くの行者に開放しなければならないと考えております。
しかし受入れ側の準備は容易ではありません。峰行の参加者に対しては、安全で最高の修行の場を提供しなければなりません。先ず、峰中修行期間中は事故なく天候に恵まれるように祈願を致します。そして、諸道具のチェック、海外行者たちの宿泊の予約、法義と伝法教材の整備、補任状などの書類の準備、消防許可の届出、滝場の整備などなど、峰中修行の準備を全て終える頃には、クタクタになってしまいます。
峰行前日のオリエンテーションを経て、初日に修験装束に身を包んだ行者達の顔を見ながら、毎年思う事は、今年は果たして自分の体力が持つかどうかという不安でしかありません。初めて参加する行者以上に、不安に思っているのが、主催者の私なのです。