行者達を招き入れ、いつも思う事は本宗がもっと見栄えが良かったらという事。本山は普通の民家だし、本堂はダイニングの隣の12畳。峰行の出立の際は、外陣の6畳間にぎゅうぎゅう詰めでお勤めをする事になります。本宗の行者は「こんなもんだ」と諦めてますが、海外から遥々来た参加者はどのように感じているのだろうか。がっかりしていないだろうか、などと、つい考えてしまうのです。
これまで、訪れた何人かの入門希望者が、途中で消えました。翌日の講習に来なくなるのはよいとして、初日の講習途中にいなくなった者もいます。あまりにも貧弱な構えをバカにされるのは覚悟の上ですが、檀家はなく信者は限られ、しかもサラリーマンであった私に寺院を建立する余裕はありません。
これまで改築の計画は何度かありました。予算の問題で頓挫するのですが、それほどまでして後世に遺して何となるのかと踏みとどまるってきました。建設費は勿論、その維持にも経費がかかります。山に死に装束で入る山伏が勘違いをしてはいけません。華美な土地建物は必要ありませんい。持ったとしても負の遺産となるだけです。
峰行も3年程前までは赤字続きで、まさに負の遺産でした。諸道具類一切の用意や、謝礼などを差し引けば、残るのは赤字と疲労だけです。道具類は一つ一つ職人の手作りであり、峰に持ち込む守り刀まで刀匠に打たせました。使用していた小屋が焼け、大型テントを新調した亊もあります。寄付行為は一切行っていませんでしたが、さすがにその時は頭を下げました。直会代一切も私が負担していましたが、見かねた弟子達が会費を集めてくれるようになりました。
そんな過去を思い返しながら、皆と般若心経を唱えます。苦労は始める前から分かっていた亊。後戻りは出来ない。ともかく、こうして国内外から酔狂な面々が参集したのです。さあ、出発だ!