令和元年甑嶽峰中修行7(5月24日⑦)

令和元年甑嶽峰中修行7(5月24日⑦)

水と火は陰陽五行思想では水剋火とされ対立関係に…云々。しかしそのような見方では自然をありのままに捉える亊は出来ません。水を浴び、井桁に組んだ場柴燈の火に跳び越える。水と火で水火既済、火水未済を現わし、因から果へ至る結界を越える亊になる。などと、かつては面倒くさい理論づけをしていたものです。今はそんなことはどうでもよい。

修行に意味を見出す事に窮々としては、本来の修験道のダイナミックな魅力が削がれるてしまいます。十界行に疑死再生の意味を見つけるの亊は結構ですが、甑岳の峰中修行は本朝の鬼門としての霊性を高めるためであり、個人の修行ではないのです。

お山に如何にご奉仕するか、それを各自が考え見つけねばなりません。地獄の行なら、素直に地獄に行く。修羅ならそうなるまで。皆が力を合せ、修行を盛り立てて、お山の神祇にご覧頂くまでです。

自然を身体一杯に感じ、大いに修行を楽しむこと。そうした喜びが神仏への恰好の捧げものだと思います。